8月21日の礼拝では、その「みことばの光」を編集・発行している聖書同盟の総主事、嶋田博考先生がメッセージを語ってくださいました。
聖書同盟の歴史と働き、先生のお証、そして聖書の詩篇49篇からの説き明かしと、お話が続きました。
「聖書同盟」はScripture Union(スクリプチャー・ユニオン)として世界各国で知られているそうです。
イギリスのとある海岸での子どもへの伝道が活動の始まりで、その後児童伝道として各地に広まり、併せて「平日でも神のみことばを~」と聖書通読の働きも進められてきました。
「日本のクリスチャンが主のみことばに毎日親しめるように」との思いから1954年に「みことばの光」が発行されるようになりました。
北海道出身の嶋田先生がどのように信仰に導かれ、その後今のお働きをなさっているかについてもいろいろとお語りくださいました。
高尾先生の神学校での同期でいらっしゃるとのことですが、神様はそれぞれの先生方の道を豊かに開いてくださったのだなと感じました。
詩編49篇~この詩篇の著者は壮大な呼びかけからこの篇を始めています。
すべての人に対して、耳を傾けよと。誰でも例外なく、軍事力も経済力も、人の努力も成果も、「死」をもってあきらめなければならない。人の命はお金では買えない。人は自分の生活と命がいつまでも続くと思っているがそうではない・・と。
しかし、次に大きな希望の告白があります。15節「神は私のたましいをよみの手から買い戻される」。12節と20節に繰り返し語られている「滅び」は「悟り」があればそうならない。
「悟り」とは神様から教えられて理解させられたことであると教えていただきました。
私たちの教会が大事にしている「聖書信仰」では、旧約聖書に問いかけがあり、新約聖書に答えがある。・・私たちの悟りは「キリストの贖い」にあり、それが私たちの大きな希望であり喜びであると、あらためて知ることができました。
第Ⅰテモテ2:6「キリストはすべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。」 アーメン
午後の信徒研修会では、「よりよい帰納的グループ聖書研究のために」と題して以下の内容を講義いただきました。
●なぜ聖書研究(聖研)なのか
●聖研の事前準備
●聖研問題の吟味
●聖研中の司会者の心得
●聖研でちょっと困る場面
具体的に模擬グループで聖研が行われました。司会者の役割がとても大切であることや、「よい聖研とは、チームワークでともに聖書の真理に迫っていく聖研である」と先生が語っておられたことが実感できるひとときでした。