3月26日の礼拝は、『驚くべき神の愛』というタイトルで高尾牧師より
メッセージを取り次いでいただきました。
イエス様(さま)はぶどう園のたとえ話をされました。ある人が、ぶどう園をつくり、
石を取り除き、その石で垣根を造り、酒ぶねや見張りやぐらを建て、農夫に任せて
旅にでました。
石を取り除き、その石で垣根を造り、酒ぶねや見張りやぐらを建て、農夫に任せて
旅にでました。
私たちの人生は、このぶどう園のようです。神様が私たちに必要なすべての
ものを備えてくださるのです。当たり前ということはないのです。与えてく
ださる神様に毎日感謝して歩みたいと思います。
ものを備えてくださるのです。当たり前ということはないのです。与えてく
ださる神様に毎日感謝して歩みたいと思います。
収穫の時期になり、主人が収穫の分け前を取りにしもべを行かせました。
しかし、農夫は暴力をふるい、しもべたちを殺しました。息子ならと息子を
行かせると、「あととりを殺せば自分たちのものになる」と息子まで殺しました。
彼らは、なぜこんなことをしたのでしょう。ぶどう園の「所有者は主人であって、
自分たちではない、自分はただ任されているだけ」ということが抜けていたのです。
しかし、農夫は暴力をふるい、しもべたちを殺しました。息子ならと息子を
行かせると、「あととりを殺せば自分たちのものになる」と息子まで殺しました。
彼らは、なぜこんなことをしたのでしょう。ぶどう園の「所有者は主人であって、
自分たちではない、自分はただ任されているだけ」ということが抜けていたのです。
私たちも、神様に主権があるのに、自分が主人となり、、賜物や能力や家族や
友人などまかせてくださっているのに、自分のもののようにしていることは
ないでしょうか。
友人などまかせてくださっているのに、自分のもののようにしていることは
ないでしょうか。
神様の愛は、計算に合わないことをされます。ぶどう園の主人があんな農夫を
信頼し、期待し、何度も悔い改めるのを待っていたように、私たちを信頼し、
期待し、忍耐し、悔い改めることを待っておられるのです。
信頼し、期待し、何度も悔い改めるのを待っていたように、私たちを信頼し、
期待し、忍耐し、悔い改めることを待っておられるのです。
息子であるイエス様を送り、十字架上で殺されることが分かっているのに、
私たちを救うためにそうしてくださったのです。神様の驚くべき愛は、
あなたにも注がれています。
私たちを救うためにそうしてくださったのです。神様の驚くべき愛は、
あなたにも注がれています。