本日のメッセージは、『あわれみ深い者は幸い』というタイトルで高尾牧師
よりメッセージを取り次いでいただきました。新約聖書マタイ5章7節。
イエス様(さま)が山上(さんじょう)で説教(せっきょう)された「あわれみ深い
ものは幸いです。その人は憐みを受けるから」からです。 あわれみとは、
相手の立場に立ち、その人が感じるように感じ、
相手のために行動することです。
イエス様は、誰よりもあわれみ深いお方です。神様なのに、この地上に人と
なってきてくださり、私たちと同じように苦しみを受けてくださいました。
あわれみは、神様の御性質です。「主のあわれみは尽きないからだ」(哀歌3:22)
神様の憐みとはどれくらい深いのでしょうか。
1万タラント(約6千億円)の借金を赦してあげた王さまのように(マタイ
18:23~)、返済不可能な私たちの罪の借金もイエス様のいのちの代価によって
赦されているのです。自分が赦されているのに、ほかの人を赦していないことは
ないでしょうか、、、。
強盗に襲われた人を前にしたとき、自分の予定を置いて、自分の時間、労力、
お金を用いて相手のために尽くしたサマリヤ人のように(ルカ10:30~)、
神様は傷ついた私たちに近づき、癒し、負ってくださるのです。
出エジプトしたとき、前に立ち後ろに立ちイスラエルの民を導かれたように
(イザヤ52:12)、神様は、私たちの群れの歩みに歩調を合わせ、共に
歩んでくださるのです。教会は、頑張れる人、頑張れない人、どちらもいて
いいのです。
神様のあわれみが自分に注がれていることを覚えて、今度は自分があわれみの
わざを成していきたい。私たちの成すあわれみは、いつか私たちに返ってくるのです。