2015年8月11日火曜日

『天地の造り主』










 8月9日の礼拝は、『天地の造り主』というタイトルで高尾牧師よりメッセージを
取り次いでいただきました。
 
 旧約聖書、創世記1章1節、Ⅱコリント5章17節より。日本には「八百万の神」と
いわれるほど、様々なものが神として崇められています。しかし、人が作った神では
なく、人を造った神、永遠の初めから神がおられる、と聖書は示しています。

 (創世記1:1)その神が、何もない無からすべてのものを造られ、そのすべてを
支配し、保っておられるのです。

 例えば、カメラ。カメラは人の目を参考に作られました。カメラが出来上がるのに、
ガラスと鉄とプラスチックが偶然重なって出来たとは思わないでしょう。カメラより
もっと精巧な人の目も、人そのものも、誰かが造ったと考えるほうが自然では
ないでしょうか。

 神は、ご自身が造られた世界(宇宙や自然などの被造物)を通して、「わたしと
いう造り主がいるのだ」と、教えておられるのです。しかし、人が神から離れた時、
自分の欲のために被造物を拝むようになり、心はだんだん暗くなるのです。

 自分は何者か、どのように生きていけばよいのか、そうした問いが出てくるのです。
しかし、その答えは、自分の中を探しても見つけることは出来ません。自分を
造られた神を見上げるとき、見つけることが出来るのです。

 神は、天地万物を無から造られたように、私たちの心にも新しい創造をして
くださいます。私たちの将来も神が計画を持ってくださいます。天地を造られた
神を見上げて歩んでいきましょう。



 

2015年8月6日木曜日

『悔い改めへの招き』


 8月2日の礼拝は、『悔い改めへの招き』というタイトルで高尾牧師よりメッセージを
取り次いでいただきました。
 
 新約聖書、ルカの福音書12章54節~59節。

 イエスキリストは、やがてすべての人が神の前に立ち、神の裁きがあるのだから、
そのことを心にとめて今を歩みなさいと言われました。

 たとえ、白いTシャツを着ていても、真新しい白いTシャツの横に並ぶと、自分の
Tシャツがくすんでいると分かるように、全く聖い神の前では、どんな小さな罪も、
罪としてはっきり示されるのです。例えば、家族以外の人には思いやりの言葉が
かけられても、家族には感謝もなにもない、不平不満ばかりということはないでしょうか?
神は、どんな小さな罪をも見過ごしにされることはないのです。

 だからこそ、罪や弱さのある私たちに対して、神の裁きが行われる前に、神との和解を
受け入れなさい、と、イエスキリストは言われるのです。イエスキリストは、私たちの罪を
赦すために、十字架にかかり罰を身代りに受けてくださいました。この和解を、今、
受け取ろうではありませんか。

 また、すでに神との和解を受け入れた人も、裁きの座において、神から預かっている
能力や家庭、仕事や勉強をどう用いたのか、報いが与えられるのでよき管理者として
今の時を歩みなさい、と言われます。

 神と共に歩む人生、心強いではありませんか。私たちに任されたものを精一杯用いて
歩んで行きましょう。












SHIORIちゃん行ってらっしゃい♡アメリカの地で良き学びと交わりがありますように☆




2015ティーンズキャンプ♪


 7月25日~7月26日、草加福音自由教会にて、ティーンズキャンプが行われ
ました!(^^)!今年もアットホームな雰囲気でのキャンプとなりました♪