2016年4月18日月曜日

『探し求める神』




 4月17日(日)の礼拝は、『探し求める神』というタイトルで高尾牧師よりメッセージを
取り次いでいただきました。




 新約聖書ルカの福音書15章1節~10節。パリサイ人や律法学者に対して、イエス
様が話したたとえ話です。

 100匹の羊を飼っている羊飼いは、その中の一匹がいなくなってしまった時、必死で
探しました。また、銀貨をなくした女性は、明かりをつけ家中を念入りに探しました。
これらの姿は、神様が私たちを見る想いと同じだ、と、イエス様は言われました。

 神様が愛を込めて私たちを造り、ご自分の大切なものとして愛し喜んでくださって
いるのに、そこから離れ迷い出てしまい、自分の価値もわからず落ち込んでいる・・。
そんな私たちに、永遠にあなたと一緒に歩みたいのだと、神様は必死でさがして
くださるのです。一人として失いたくないのです。

 この例えに共通しているのは「悔い改め」です。しかし、羊も銀貨も、自ら悔い改めて
持ち主の元に帰ってくることはありません。意気揚々と滅びに向かっていても、自分
では気付かないのです。

持ち主である神が探してくださらなければ、戻ることができないのです。そんな私たちを
探してくださっているのがイエス様です。私たちが神の元へ帰ることができるように、
私たちの罪をすべて背負い、身代りになって十字架で死んでくださったのです。

 失っていた者が見つかった時、神は大喜びして人々を集め、「共に喜んでください」
と言われました。パリサイ人は、自分の正しさに固執し、神の喜びを共にできません
でした。信仰生活の喜びとは、神の喜びを共に喜ぶことなのです。

 神様の元へ戻ることができるようししてくださったイエス様。ありがとうございます。

 





 礼拝後は、婦人会の皆様による昼食サービスがありました。愛情いっぱいの
美味しいカレーライス♡いつもありがとうございます!(^^)!





2016年4月1日金曜日

イースター礼拝




 3月27日は、『よみがえられたイエス』というタイトルで高尾牧師よりメッセージを
取り次いでいただきました。

 新約聖書ルカの福音書24章1節~12節。イエス様が十字架にかけられ墓に
葬られたので、週初めの日、女たちは悲しくさみしい気持ちで香料をもって墓に
向かいました。しかし、墓は空っぽで、天使が「イエスはよみがえられた」と、
教えてくれました。

 死んだと思っていたイエス様が生きておられる!驚きとともに、どんなに嬉し
かったことでしょう。しかし、弟子たちは、よみがえられたイエス様の話を聞いても
信じませんでした。

 イエス様が復活されたということは、「私たちに永遠の命の希望が与えられて
いる」という、大きな意味があるのです。イースターのたまごは、二度生まれると
いうことを表しています。鳥は、最初にたまごとして生まれ、そして、殻を割って
また生まれます。

私たちも、お母さんから生まれた時は、神様を知らず、自己中心に歩んでいました。
でも、イエス様が十字架によって自己中心の殻を打ち砕いてくださり、神様と
一緒に新しい歩みをするように、永遠の命をくださったのです。

 イースターのたまごは、それを表しています。



 イエス様を3度知らないと言ったペテロは、自分の失敗を後悔していました。
しかし、イエス様がよみがえられたことによって、再出発の希望が与えられた
のです。空っぽの墓は、よみがえられたイエス様の「私は今も生き、あなたと
共にいるよ。永遠の命を開いたよ。再出発できるんだよ。」という、メッセージ
なのです。

 礼拝後は、☆きらきら☆による、ハッピーイースターパーティ。が行われました。
たくさんの子どもたちが集い、楽しい時間を過ごせました!(^^)!