2017年1月8日日曜日

神に喜ばれる生き方とは


1月8日礼拝説教「神に喜ばれる生き方とは」
ヘブル人への手紙 11章1~6節 

1/8の礼拝では、1991年から1993年12月まで当教会の副牧師をされていた名古屋西福音自由教会の服部真光先生がメッセージを取りついでくださいました。
先生は草加で奉仕されていたときに、突然に名古屋への導きがあり「なぜ名古屋へ?」と戸惑われたそうです。
しかし「あなたは私の示す地へ行け」とおっしゃる神に信頼し赴任されたとのことでした。
神に喜ばれる生き方とはどのようなものか、主の祝福につながるにはどうしたらよいか、先生が求めてこられた信仰の歩みの中から、今回説き明かしてくださいました。

<要約>
へブル書には信仰の先輩たちの生き様が簡潔に示されている。
1・2節に「称賛される信仰」、4節に「神に受け入れられる信仰」、5節に「神に喜ばれる信仰」。
クリスチャンとして生きることそのものが素晴らしいが、より神に喜ばれる信仰の成長をとげていくことが大切。
それは神に近づいていくことであり、以下の二つが6節に示されている。

1)神に近づく者は、神がおられることを信じる。
クリスチャンでなくても「神がどこかにいる」と思っている人は多いが、これは「創造主」を信じることとは異なる。
神に近づくということは、「インマヌエル=神」が私たちのそばに、私たちと共におられることを信じることである。
イエス様はおっしゃった「私はあなたと共にいる」と。
へブル13:5「主ご自身がこう言われる。私は決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」
道が開かれることも閉ざされることもあるが、どんな時も神が共にいて自分を見放しておられるわけではないことを信じることが大切である。

2)神に近づく者は、神が報いてくださる方であることを信じる。
神に求めることは間違いではないが、要求ばかりになってはいないか。
神に近づく者とは神を求める者のことである。
病の癒しを求めるときには、病の中でそれに耐えて乗り越ええられるようにと祈り求めるのが望ましいのではないか。
神の臨在を苦しみの中でも覚えることができるようにと祈る。
私たちが生きている場所で、私たちと共にいて下さる神を探し求めていきたい。
箴言3:5~6「心を尽くして主に依り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。」